電話嫌い

電話,あんまり好きじゃありません。
なぜかというと,ひとつは,切るのが苦手なんです。
とっても。

昨日(すでに数日前に……)も,21時過ぎに電話が掛かってきました。これは,忙しい方でしたから,此方から今日か明日の都合が良い時に連絡くださいってメールしてたんですけどね。この用件はメールよりも……って判断です。いや,用件での判断というよりも相手が好むであろう手段を選んだといえます。

で,終った時は日付が変わっていました。。。
さすがにこれほどの長時間になることは稀(稀ってのがすでに恐ろしい)ですが1時間前後ってのは珍しくないかも知れません。ただ,通話自体の数は少ないのですが。

しかし,通話の最中が苦痛かと言うとそんなことはないんです。基本,おしゃべりですから。ただ,全てがそうだとは言いませんが,過ぎ去った時間を愛おしく思うのです。


もうひとつの側面ですが,

世の中,出来るならメールよりも電話で。
電話より,会って話しを。
ってことになってるんでしょうかね,たぶん。

ぼくはこれに懐疑的な部分を持っているんです。

まず,直接の会話(電話でも会ってでも)って堂々巡りが往々にしてありませんか? 長くなればなるほど,最初の内容の記憶も薄れます。テーマ自体は変わらなくとも,その内容は流動的になり,用意していたものを話すタイミングが掴めなかったり,伝えたいことを忘れてしまったり。さらには,自分でもなに言ってんだろ?な矛盾を発したり。

電話や会う時間を事前に決めて,お互いが言うべきことを箇条書きにでもして臨めば違ってくるのでしょうけど,なかなかそうはいきません。

面と向っても議論になればお互い話しの腰を折る場面も出てくるでしょうし,言いたいことが言えなかった,なんであんなことを言ったんだろう,つい勢いで…… なんてことは誰にでもあるのではないでしょうか。

自分に当てはめても,相手の言葉に反応してその場で考え口にする。たいした頭脳を持ち合わせてはおりませんので,こんな危険な状況はできるだけ避けたいのです。

話した内容に関してもテープ起こしでもすれば担保もされますが,そんな議事録は日常生活ではありえません。だからか,ぼくは落ち着いて書けるメールを好むようになったのだと思います。

しかし,同じテキストベースでも,チャットでの議論は別です。失敗もかなりあります。これは電話よりタチが悪い。システム自体の遅延が必ずあり,しかも,半二重通信(おもちゃのトランシーバをイメージしてください)のクセに,楽しくおしゃべりみたいな,全二重通信(通常の電話のイメージ)を気取るのです(ぼくの勝手なイメージでは)。

チャットはどうしても短文のやりとりになりがちで,言葉足らずが連発します。さらにエキサイトすると間隔が狭まり,相手の返事が届く前に,次のキーを叩くようなことが往々にしてあります。たわい無い話しでは便利な機能ですが注意が必要だと感じています。


はなしが少し逸れました。

Weblogを書かれている方ならご存知でしょうが,1〜2分で読める文章に30分かけたなんてのは当り前でしょうし,そんな時間じゃ書けないよって方も多いと思います。

そう(文章を書くことに慣れていない方はまた少し違いますが),メールじゃダメだと思っている人とは,かける時間とか姿勢が根本的に違うんだろうなと思います。しかも,それは書くだけではなく,読む,読み込もうとする姿勢にも違いがあるように感じる時があります。

メールも含めて,この手の作業をするぐらいなら直接話したほうが早いってのももちろん理解できます。すでにこの文章も書き始めてとっくに2時間を超えていますが,書いては戻っては読み,必要であらば修正や削除したり,加筆したりです。あえてブレークを置くことも。これも重要だと思い知らされたことも数限りなく。

もちろん,ぼくの文章が読みやすいものだとは思ってはいません。短くて簡潔な文章が書けないからこそ長文になるのも理解しています。主観たっぷりで書いていますから言葉足らずで真意が伝わっていないことも多いと思います。ありがたいことに,それを指摘してくれる方もいます。

そして,それでも「え? この流れでこう書いて,この意味が解らない? 伝わらない? なんでぇ?」って自分本位で考えることもしばしばです。書き手と読み手の感性の差(そこに優劣はありません)というのでしょうか,笑うツボが違うのと似ているのかも知れません。

しかし,それでも懲りずにメールです。真剣に伝えたい時,自分の書くメールは,それが自分本位とはいえ労力をかけている自負だけはありますから。


以前,なんどか長いメールを宛てた相手から「短いメールでごめんなさい」と書き添えられたことがありました。こちらの長文は伝える内容が多岐にわたり仕方がなかったのですが,けっして返信にも長文を期待しているのではありません。簡潔でも内容に即していれば問題はないのです。そこに,力を注いだであろうことを理解して頂けてるのならなおさらです。


メールでの文章のやり取りを好ましく思われない方でも,お礼状は手書きでという方は多いかも知れません。たしかに頂戴した達筆(でなくても)の手書き礼状にリスペクトは致しますが,通り一遍の文章なら,ダラダラ書き綴ったメールを貰ったほうが,ぼくは何倍も嬉しいです。


ここまで書いて,なにが言いたかったのかが解りました。つまり,メールではなく,文字や文章そのものを否定された気分になったんだと思います。


みんな,たくさんの本を読むじゃない。

忘れられない絵本があったり,感動した本もあるでしょう?

じゃぁ,伝わってるじゃん。

その伝える努力を自分が放棄したからって

「メールじゃね」って言わないで欲しいよ。

それかな。


結局,それを導くために時間を掛けてキーを叩きました。だんだん頭の中が整理されてくるのもうっすらと感じます。すると,書いていた文章をバッサリ切り捨てることもありますが,そこまでのプロセスは残っています。


電話や直接会っての話しを否定してメールが優るというキャンペーンを張るつもりもありませんが,カーッとくるのは対面のほうが多いですし,カーッときてもメールなら時間を置いて返事することも出来ます。


メール,そんなに悪くないよ。


3時間超の電話を切った後にも,言い残したことや,伝わらなかったなぁと思ったことがありましたから書き始めました。しかし,後半は書くことに酔っているのも感じますかね(笑)

そんなカンジです。